「家族の一体感」に反論したことが、少し話題になっています。
「井ノ原快彦が夫婦別姓反対の理由にツッコミ
「同姓でも一体感がないときある」」
「『あさイチ』でイノッチが「夫婦別姓」反対派の主張を一蹴!
安倍首相も日本会議もぐうの音も出ない正論」
(はてなブックマーク)
http://news.livedoor.com/article/detail/10823755/
そして、反対の理由のひとつとして「家族としての一体感が
損なわれる」とする理由が紹介されたときだ。
この理由に司会の井ノ原が即座に反応し、「同じ(夫婦が同姓)でも
一体感がないときもあるからね」とツッコミを入れたのだ。
このツッコミにスタジオでは笑いがもれ、ゲストの牧瀬里穂は
思わずテーブルに突っ伏し、大笑いしてしまう事態となった。
さらに井ノ原が「他人同士でも一体感は生まれるから」と、
家族でなくても一体感が生まれる例もあると説明を付け加えると、
夫婦同姓でも一体感がないことはいくらでもありますからね。
そういえば他人どうしでも、一体感が生まれることもあるのでした。
あっさりと反論したと思います。
ゲストの牧瀬里穂氏が大笑いして同意したのも、
とても好ましい雰囲気を作っていると思います。
「一体感」とか「きずな」というものは、
構成員が積極的に努力して初めて生じるものだということです。
それゆえ夫婦で名字が同じなだけでは、一体感が生まれないこともあるし、
赤の他人どうしでも一体化が生じることもあるわけです。
メインブログの11月8日エントリでご紹介の、
3世代同居の困難について述べたエントリにいたっては、
「奇跡の産物」とまで言っています。
「今からドキドキが止まらない『3世代同居の住宅政策』が推進された後の日本」
住んでいれば自動的に『絆』が生まれるものじゃないんですよね。
絆というのはそこにいる人間たちが一所懸命関係を構築しようという
たゆまぬ努力の上で成立する『奇跡の産物』です。
選択的夫婦別姓反対派(非共存派)のいわゆる
「家族の一体感」とは、実体は彼らが「信仰」する
「家族思想」が保たれている状態のことです。
したがって「家族の一体感が損なわれる」というのは、
「家族思想信仰が崩れる」ことを意味します。
「伝統的価値観・きずな・一体感」
「一体感」とか「きずな」といったことばが、
一般的な意味でのそれらとは異なるということです。
それゆえ彼ら非共存派との話はかみ合わなくなると言えます。
http://lite-ra.com/2015/11/post-1691.html
反対派の言い分では、事実婚の男女やそのあいだに生まれた子ども、
法的に同性婚が認められていない性的マイノリティのカップルは、
どれだけ愛し合い、深い絆で結ばれていようが、
「一体感をもてない人たち」になってしまう。
それはとても失礼な話ではないか。
「一体感をもてない人たち」というのは、
「家族思想信仰」からはずれた「異教徒」という意味ですね。
異端者扱いですから、「とても失礼な話」であることに
変わりはないですが。