田母神俊雄氏が選択的夫婦別姓の反対論をまた語っています。
結婚して改姓した人が自分の実親と異なる姓でもおかしいとは誰も言わない。単なる慣習上だけの問題だってのは明らか。“選べる“ようにするってことはそんなにおおごとなのかよ。てか姓が同じでないと保てない“家族の一体感“なんて要らねえよ。 pic.twitter.com/1TOsGHoiop
— ばじる@人生8割忘れ物 (@Basil1127) 2015, 11月 5
佐藤さんの娘が田中さんという男性と結婚して改姓すれば、
佐藤さんの娘が田中さんになりますよ。
「親子で名字が異なるのはおかしい」という人は、
結婚改姓した娘とその親とで名字が異なることを、
さっくり無視するのは相場だと思います。
ひとつは男性中心に家族を考えていることがあると思います。
通常改姓しない男性は、結婚しても親と名字が同じです。
そして「他家」から入ってきた妻の親は
「自分の家」と関係ないので、視界に入らないことになります。
もうひとつは例の「家族思想信仰」だと思います。
戦後の「家族思想」によって定着した家族のスタイルは、
夫婦と子どもたちだけの「標準家族」です。
もともと親世代とのしがらみを断ちたかった人たちが
広めた家族観ですし、そのために3世代だった戸籍を
2世代に改変もしたのでした。
かくして「信仰」を持った人たちの想定する「家族」に、
結婚した夫婦の親は入ってこないことになります。
それゆえ、結婚改姓した娘とその親の関係も
意識されなくなる、ということだと思います。
彼ら「信仰」を持った人にとっての「親子」とは、
夫婦とその子どもたちの関係だけを指します。
それで彼らの夫婦同姓や夫婦別姓の議論では、
その範囲内だけで、構成員全員が名字が同じか
異なるかを問題にすることになるのでしょう。
田母神俊雄氏は2年半ほど前には、「結婚をしたら多くの女性は
愛する男性の姓を名のることが嬉しい」と言っていたのでした。
「田母神俊雄の思い込み」
夫婦別姓の拡大が検討されているとか。結婚をしたら多くの女性は愛する男性の姓を名のることが嬉しいのではないでしょうか。それを夫婦別姓にしたいというのは私には理解できません。結局は日本のぶち壊しになっていくと思います。伝統・文化の中に国民が幸せになる知恵が一杯含まれているのです。
— 田母神俊雄 (@toshio_tamogami) 2013, 3月 20
それが「そうではない女性もいるようだ」となったので、
田母神俊雄なりに進歩したのかもしれないです。
夫婦別姓訴訟の最高裁大法廷弁論がある以上、
結婚しても名字を変えたくない女性の存在だけは、
無視できなくなった、ということだと思います。
夫婦別姓の国賠訴訟は2011年から始まっていたので、
田母神俊雄が上述のツイートをした2013年には
すでに進行中だったのですが、当時の田母神俊雄の耳には
訴訟の話題は入らなかったみたいです。