訴訟についての、最高裁大法廷の弁論について取り上げています。
「夫婦別姓 問われる「憲法の番人」」
社説の論調はあきらかに「最高裁は違憲判決を出すべきだ」です。
ついにここまできたと思います。
選択的夫婦別姓法案についての箇所を見てみたいと思います。
野党が何度も改正案を出しても実質的な議論に入らないまま廃案となってきた。
女性の人権と家族のあり方をどう考えるのか。
国民の前で親権に討議すべきなのに、自民党はそれを怠り、
多数派の価値観だけが認められてきた。
憲法学者の樋口陽一さんは、こう唱える。
「『みんなで決めよう』が民主主義だとすれば、
『みんなで決めてしまってはいけないことがある』という考えのうえに
成り立っているのが、人権」である、と。
みんな=多数で決めた法律が、少数派の個人の権利を侵していないか。
厳しくチェックするのは、最高裁の役割だ。
ここではっきりと「多数決批判」をしているのですよ。
選択的夫婦別姓が人権問題であることもはっきり書いています。
そして多数決はかならずしも少数派の人権を守らないこと、
多数決が少数派の人権に反するときチェックするのが
最高裁判所の役割だ、ということを書いています。
「多数決で決めるな、人権尊重の観点で法改正しろ」です。
とても立ち入ったことまで言及したと思います。
これも最高裁弁論の影響なのだろうと思います。
最高裁の憲法判断を主題にすると、おのずとこのような
話題の構成になることもありそうではあります。
少し前までは、選択的夫婦別姓の話題で多数決を問題視したり、
人権問題を前面に出すことはなかったと思います。
アイデンティティとか職業上の不利益とか、
実用上の不都合について触れて「家族の多様性を認めよう」
あたりで結論にするのが相場だと思います。
これはすでに何度も引用していることですが、
まさに女子差別撤廃委員会(CEDAW)から勧告されている、
世論調査を持ち出さず、法的整合性にもとづいて
民法改正しろということと同様の指摘になるでしょう。
「差別的法規」
また、世論調査の結果ばかりを理由にしてはならず、
法体系の一部として、条約の条項と整合が取れるよう、
国内法を整備しなければならないこと、したがって民法改正は、
条約に批准した国が義務としてなすべきである、ということを、
委員会は指摘しておきます。
ほかにも自民党が長年、野党から提出される民法改正法案の
審議をずっとたなざらしにしてきたことや、
同姓強制の国がほとんど日本だけだということにも触れています。
これらもいままではあまり触れられないことであり、
これらに言及するのはやはり踏み込んできたと思います。
海外でも夫婦に同姓を義務づける国はほとんどなく、
選択制を認めない根拠は見いだせない。