最高裁の違憲判決について話題にしています。
もちろん選択的夫婦別姓と女性の再婚期間の訴訟で
最高裁で弁論が行なわれるのを意識してのものでしょう。
「2015年11月4日 天声人語」
2年前の婚外子の相続差別に対する違憲判決について触れ、
それをふまえて選択的夫婦別姓の訴訟に触れています。
婚外子の相続差別の違憲判決について、このように書いています。
遅すぎたと評されたが、画期的だったことも間違いない。
画期的ではありましたが、遅すぎたのもたしかだと思います。
欧米の民主主義国ではとっくに嫡出概念なるものがなく、
法的な不利益もなく、子どもの半分くらいは婚外子なのですから。
「出生率の上昇と婚外子」
憲法学者の青井未帆さんが大法廷の変化に触れ、
「最高裁は社会をよく見ている」と述べた。
逆に社会が動かないと最高裁は動かないと青井さん
憲法判断に社会がまったく無関係ではないのでしょう。
憲法判断は解釈が多く入るところですから、
社会がどうあるかという動向も影響を与えるだろうからです。
それでも社会が動かないと最高裁が動かない
というのも、みょうなお話だと思います。
社会のありかたなんて、多数派の意向の反映になりやすいです。
国連の女子差別撤廃委員は世論調査を理由にせず、
法的整合性にもとづいて民法改正せよと勧告しています。
「差別的法規」
また、世論調査の結果ばかりを理由にしてはならず、
法体系の一部として、条約の条項と整合が取れるよう、
国内法を整備しなければならないこと、したがって民法改正は、
条約に批准した国が義務としてなすべきである、ということを、
委員会は指摘しておきます。
これはいわば「社会のありかたなんか見ていないで、
法的整合性にもとづいて判断せよ」ということでもあります。
そしてそうした判断をするのが裁判所だと思うからです。
日本では戦後作られた「家族思想」が「信仰」になっていて、
無意識のうちに感化された人も多く、社会の中に深く根ざしています。
社会のありかたは、まさに「家族思想」に強く
影響を受けていることになります。
「信仰としての家族思想」
「信仰としての家族思想(2)」
「家族思想」に反する「婚外子の相続差別」に
違憲判決が出たのが遅くなったのも、このような「社会」を
裁判所が見ていたから、ということもあるだろうと思います。
「家族の絆が壊れる」との根強い反対論については、
安倍内閣が最近見解を示している。「壊れるかどうかを
客観的に判断することは困難」
そうだったのですね。
証明不可能なことを理由にして、選択的夫婦別姓や
婚外子の相続差別撤廃に反対しているということですね。
彼らにとっての「家族のきずな」とは、
「家族思想信仰」が維持されている状況のことです。
よって一般的な意味での家族のきずなとの関係について
客観的な判断などできるはずもないということなのでしょう。
「伝統的価値観・きずな・一体感」
「家族思想」の維持と一般的な意味での「家族のきずな」とは
関係があるかわからないと、言ったようなものだと思います。