2015年10月18日

『従軍慰安婦』97-98ページ

吉見義明著『従軍慰安婦』(岩波新書)の97-98ページ。
「III. 女性たちはどのように徴集されたか 2. 朝鮮からの場合」

https://flic.kr/p/zTvP5Q
https://flic.kr/p/zDeiFC

暴力的連行のケース

暴力的連行のケースは、朝鮮からの連行に限ると、つぎの証言がある。
文玉珠は、1924年に生まれた。父が早くなくなり、
母が針仕事や物売りをしてやっと生活できるような状態だった。
ときには実家から穀物を貰わなければやっていけなかった。
ときどき日本人が経営するスリッパ向上で働いたが、
いつも仕事があるわけではなく、そんな時は家でぶらぶらしていた。

また、ハルコという日本名をつけた朝鮮人の友だちの上によく行った。
その家は過そばで死体を焼く仕事をしており、
死体を焼く前には祭事があるので、いつもお供え物をごちそうになった。
毎日お腹をすかしている状態だったのである。
40年の秋に連行されたが、その時の状況はつぎのようにのべられている。
満16歳のときだった。

ある日、私はハルコの家に遊びに行きましたが、
日が沈みかけたので、ハルコの家を出て自分の家に帰りかけました。
まだいくらも歩かないうちに、軍服を着た日本人が私に近寄ってきました。
彼は突然、私の腕を引っ張って、日本語で何か言いました。

その頃は,巡査という言葉を聞くことさえ恐ろしい時代だったので、
私は何も言えず彼に引っ張られるまま連れて行かれました。
……連れていかれた先は、憲兵隊ではないかと思います。

彼女は、中国東北の軍慰安所に入れられる。拉致した日本人は、
軍人か、巡査か、カーキ色の国民服を着た民間人か、断定できない。
しかし、夕暮れ時であること、連れがいないこと、
民間人らしき人物にひき渡されていることなどから、
民間人による誘拐の可能性が高いのではないだろうか。

もちろん、警察がこのような犯行を見落とすか見逃すということは、
軍から慰安婦送出への強い要求があるのだから、ありえたことだろう。


posted by たんぽぽ at 17:59| Comment(0) | リンク集・引用・翻訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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