なにをいまごろになってと言いたくなるようなことを言っています。
「リアルの属性とリンクさせない」のが「匿名」であり
発言に責任を持っていない、という主旨なのでしょう。
「匿名の後ろに隠れた安全な場所からの誹謗中傷・その後」
匿名の後ろに隠れた安全な場所からの誹謗中傷 って、名前どころか性別まで隠匿してるひとにいわれたかあないね
— マッド頓服 (@alchmistonpuku) 2015, 7月 9
ネットで「匿名でない」というのは、ネットのほかの場所と
同一人物が発信していることをわかるようにする、ということだと言えます。
ネットの「匿名」を議論するのは、発言に対する責任という
観点からなされることが多いからです。
さまざまな場所で同一人物性をはっきりさせている人のほうが、
ネットでは自分の発言に責任を持つ傾向があります。
あっちこっちでべつのハンドルを使っていると、
同一人物の発言とわからないので、無責任になりやすくなります。
リアルの属性とリンクさせることは、さほど重要ではないです。
実名などリアルの属性を明かしたところで、
発言に責任を持つようになるとはかぎらないからです。
よってリアルの属性を明かしても、かならずしも
ネットでは「匿名でない」とは言えないことになります。
ネットの「匿名」については、つぎの考えかたもあります。
以下のコンテンツでは、自分の関心ごとや背景となる知識が、
わかるようにすることを「匿名でない」としています。
そしてやはり実名を明かすなど、リアルの属性とリンクさせることを
「匿名でない」とは考えていないです。
「「匿名」による批判の禁止ルールについて」
「黒木のなんでも掲示板:利用上の注意」
ネットの「匿名」が議論になったとき、「匿名でない」とは
「リアルの属性とリンクさせること」だとすり替えるのは、
むかしからさんざん繰り返された手あかのついた議論だと思います。
「頓服パラ子」はなにをいまさらのように、
見え透いたすり替えをするのかと思います。
ネットの「匿名」の意味をこのようにすり替えると、
たいてい「実名を明かすべきだ」という「実名主義」に発展します。
現に「頓服パラ子」も「名前どころか」と言って、
わたしが実名を明かさないことを問題にしています。
実名を使うことを義務づけたところで、ネットの空間がまともに
なるわけでないのは、さんざんしめされたことだと思います。
実名を出しても発言に責任を持つとは限らず、
すさんだ言動をする人は後を絶たないからです。
「実名化を義務付ければ、インターネットはもっとまともな空間になる」とかいうゴミみたいな言説を無事叩き壊したので、それだけでもFacebookはグレート。
— 犬紳士 (@gentledog) 2015, 7月 9
「実名を明かさなければ『匿名』だから信用できない」という
主旨のことを言う「頓服パラ子」が、どういうわけか上記の
実名批判のツイートをリツイートしているのですよ。
なんの冗談かと思います。
付記:
「匿名の後ろに隠れた安全な場所からの誹謗中傷」というのは、
むかし「えぼり」が運営した誹謗中傷ブログのことです。
「匿名の後ろに隠れた安全な場所からの誹謗中傷(簡易ver.)」
「匿名性に隠れた誹謗中傷」
アメーバブログの機能を利用すると、非公開コメントは
コメントのタイトルだけ表示され、つぎのようにだれが書いたか
わからないようにして、誹謗中傷することができるのでした。
これはふだん使っているハンドルが表示されないので、
ネットのほかの場所の発言と同一人物性がわからないです。
これを「匿名」と、わたしは言ったということです。
「頓服パラ子」が「匿名」の意味をすり替えて、
「いわれたかあないね」と、わたしの批判を矮小化したのは、
なんらかのかたちで、お仲間の「えぼり」の誹謗中傷を
擁護したかったということだろうと思います。