下位の者の権利を奪うために「経済」やら「財源」を持ち出すけど、下位の者がより自由や権利を保障される方向の変革が、経済効果を上げそうな場合、そのような変革は絶対しないし。
— 俎上のサバヒー (@milkfishporrige) 2015, 5月 29
具体例でわたしが思いつくことは、子ども手当てがつぶされるとき
「財源」が理由のひとつになったことがあります。
生活保護は投入した税金のほぼ全部が消費に使われるので、
景気の循環という観点からは効率がよいのですが、
世間さまは生活保護を攻撃することに血道を上げるのでした。
この手の人たちがとくにたちが悪いと思うことは、
下位のものの権利を制限する際に「経済」や「財源」を持ち出すとき、
「理性的」だといわんばかりの印象づけをすることです。
そして権利を主張する人たちを、「経済がわからない
あたまの悪い人たち」と印象づけするのですよね。
そんなに「経済」や「財源」がわかっているのなら、
下位のものの自由や権利を保証する施策で、
経済効果を上げそうなら、積極的に推進してほしいものです。
そうしたくないというのなら、権利や自由や人権に
反対することが目的の反知性主義者ということだと思います。
「経済」や「財源」が本当にわかっているのではなく、
反権利・反人権のための「手段」にすぎないということでしょう。
「目的」は人間がよりよい暮らしをすることです。
経済や財源はそのための「手段」のうちです。
経済や財源のために、人間の暮らしが制限されるのは、
「目的」と「手段」の倒錯であり本末転倒です。