「シングルマザーは自己責任?…厳しい視線に驚き」
妊娠はひとりでできないのに、父親の責任が問われることは
ほとんどなく、養育費の不払いも黙認・容認されることが多いです。
またひとり親家庭は一般に生活が苦しいのに、
社会問題、福祉問題として解決する意識もとぼしいことが多いです。
以前、NHKの「あさイチ」という番組でシングルマザーが
特集されていたことがありましたが、視聴者からのFAXは
「考えなしに妊娠をしたから自己責任」「離婚する前にもっと考えるべき」
などの非常に厳しいもので驚かされました。
若年妊娠でシングルマザーになる女性を本人の自己責任だけであるとは
私にはとても思えません。少なくとも連鎖をさせないためには、
子どもの環境や教育の改善、離別した父親にも責任を
担ってもらうことが急務ではないでしょうか。
なぜひとり親家庭を「母親の自己責任」とする人たちが多いのか、
これはさまざまな観点から考えることができると思います。
ここでは家族やジェンダーに関して因習・反動的な人たちが
信仰のようにしている、あの「家族思想」という
観点から考えてみたいと思います。
「信仰としての家族思想」
「信仰としての家族思想(2)」
「家族思想」を「信仰」している人たちにとって、
ひとり親家庭は「異教徒」であり、その「信仰」のもとでは、
「異教徒」の存在は黙殺され「なかった」ことにされます。
それゆえ福祉や社会保障といった公的サービスは、
社会的に黙殺されるべき「異教徒」のために使うものではないと、
彼らは考えることになるので、ひとり親世帯の貧困は
「自己責任」でどうにかすることと、
考えるのではないかとわたしは想像します。
彼らの中には、「福祉や社会保障はまじめに教義を守っている
自分たちのためにあるべきであり、異教徒のために使うべきでない」とか、
「まじめに教義を守っている自分たちの税金が、
異教徒のために使われるのは許せない」とさえ思っている
「家族思想」の「信者」もいるかもしれないです。
かくして、福祉や社会保障は諸般の事情で貧困にあって
自分で生活することがむずかしい人のためにあるという
本来の存在意義を、彼らは理解できなくなっているのではないかと、
わたしは想像します。