塚本協子さんを取材した記事があるので、ご紹介します。
「北陸ひと模様:夫婦別姓訴訟原告、塚本協子さん /富山」(1/2)
「北陸ひと模様:夫婦別姓訴訟原告、塚本協子さん /富山」(2/2)
上記リンクは会員登録しないと読めないと思いますが、
以下のツイートからリンクをたどると読めると思います。
https://twitter.com/pissenlit_10/status/606990774027173888
https://twitter.com/pissenlit_10/status/607006538960506880
<北陸ひと模様>夫婦別姓訴訟原告、塚本協子さん /富山(毎日新聞) - goo ニュース http://t.co/ovF2xnbeQB 選択的夫婦別姓実現のためにともに声をあげているすてきなお姉さまです。
— ひぐちのりこ (@nohiguchi) 2015, 3月 30
記事では簡単な塚本協子さんの個人暦に触れています。
1960-70年代に事実婚やペーパー離再婚をしているのですよ。
まさに夫婦別姓問題の大先輩という感じです。
25歳で迎えた結婚式は、しゅうとの独断で「嫁取り」に。このころは事実婚もペーパー離再婚もほとんどほかに例もなく、
以来13年間、事実婚を貫いた。その間、3人の子供をもうけたが、
その度に婚姻届と離婚届を繰り返し提出し、塚本姓にこだわり続けた
まわりに理解する人もほとんどいなかったのではないかと思います。
苦労も多かったことが想像されます。
自分が家を継ぐことになったり、勝手に婚約者を決められるところは、
時代がかったものを感じます。
(女性にとって望まない結婚をさせられることは脅威です。)
塚本さんが家を継ぐことになり、勝手に決められたほかにも母親がシングルマザーとなって苦労するところを見たり、
婚約者との結婚を押し付けられた。嫌がる塚本さんに
祖父母は「親の苦労を何と……」と責めたが、
母親が大学進学を許してくれ、逃れた。
戦後の自由、平等、民主主義、男女同権教育の影響もあって、
前時代的な結婚制度や家族のありかたに、
かなり早くから疑問を持つことになったようです。
夫婦別姓訴訟は、2011年2月に提訴。
5月に第一回口頭弁論、2013年5月に原告棄却の判決。
10月に原告控訴、2014年3月に控訴も棄却。
2015年2月に最高裁大法廷回付という経緯をたどっています。
「夫婦別姓の初訴訟」
「夫婦別姓訴訟の提訴」
「別姓訴訟・第1回口頭弁論」
「別姓訴訟・第1回口頭弁論(2)」
「夫婦別姓訴訟・請求棄却」
「夫婦別姓訴訟・控訴審」
「夫婦別姓訴訟・控訴を棄却」
「民法改正を大法廷回付」