2015年05月09日

家族のきずなとはなにか?

メインブログの5月9日エントリで、自民党憲法改正推進本部が発行した
憲法改正を解説するとんでもない漫画冊子のうち、
女性の地位向上について書いているコマを見てきたのでした。

ここに出てくる「家族の絆」とか「地域の連帯」が
「希薄になった」というのは、具体的にどんなことを指すのかと思います。
これらは本当に女性の地位向上と関係があるのかと思います。
ほのぼの一家の憲法改正ってなあに? p.61

「家族の絆」とか「地域の連帯」は、彼らが因習・反動的な
家族・ジェンダー観を正当化する際に、よく持ち出されると思います。
ところがちょっと立ち入って考えると、中身がはっきりしないと思います。

なにを指すのかわからない漠然とした概念を持ち出して、
「かもしれませんねぇ」なんてあいまいなことを言うのではなく、
検証可能なかたちでしめしていただきたいものです。

「地域の連帯」なるものがなんなのかは、わたしには想像がつかないです。
「家族の絆」に関しては、彼らが言いそうなことは、
わたしでもいくつか考えられないこともないです。


「家族の絆」には、DVやモラルハラスメントや、
夫婦や親子間のレイプとか、子どもの虐待の発生件数があるかもしれないです。
件数が多いほど「家族の絆が薄れる」ことになるのでしょう。

これらは女性や子どもの権利が認められたほうが解決するものです。
本質的に減らしたかったら、女性の地位向上に努めることです。
それでも当面は、いままで被害を受けた人が声をあげられなかったり、
被害と認められなかったものが認められるようになったりして、
見かけの発生件数は増えることはあるでしょう。

自民党には「家族を崩壊させるからDVとかいうな!」と
言ってのける、稲田朋美のような人物もいます。
見かけの発生件数が増えることを「家族の絆が薄れた」と考え、
被害者が抑圧され声を挙げず、表面的に沈静化している
きわめて不健全な状態を、「家族の絆が保たれている」と考える人も
本当にそれなりの数だけいそうではあります。

「母乳強制、DV擁護、中絶禁止…安倍内閣・女性閣僚の「反女性」発言集」
「いまや「DV」といえばすべてが正当化される。
DV=被害者=救済とインプットされて、それに少しでも疑いを挟むようなものは、
無慈悲で人権感覚に乏しい人非人といわんばかりである。
まさに、そこのけそこのけDV様のお通りだ、お犬さまのごとしである」
「DVという言葉が不当に独り歩きすれば、家族の崩壊を招きかねない」
(「別冊正論」第7号/07年)

ほかに持ち出しそうなのは「凶悪な少年犯罪の検挙数」です。
凶悪な少年犯罪が増えるほど、「家族の絆が薄れた」せいになるわけです。
実際にはつぎのように凶悪な少年犯罪は、時代が下るほど減少しています。
少年犯罪がどのくらい起きるかが「家族の絆」ということでしたら、
高度経済成長期のほうが「薄れている」ことになります。

「少年犯罪は急増しているか」
罪状別凶悪犯罪検挙数

このうち「強盗」が減ったのは、高度経済成長によって
貧困が解決され、物欲しさゆえの犯罪が減ったからです。
女性の権利の向上なんてここではぜんぜん関係なく、
「家族の絆」は経済力によって解決したことになります。

1997年以降「強盗」が増えたのは、警察の方針が変わって、
世論の影響を受けて警察が少年犯罪の厳罰化をするようになり、
これまで窃盗だったものが、強盗として扱われるようになったためです。
少年の心にも「家族の絆」にも、変化があったのではないです。

「強姦」の発生件数のピークが1950年代後半から1960年代と
まさに高度経済成長の時代であることが、ひときわ眼につきます。
1960年代の末から減り出して、現在は「強姦」の少ない時代と言えます。
性に対するモラルが向上したのかもしれないですし、
女性の権利向上も少しは関係あるかもしれないです。


「離婚率」は「家族の絆」の指標として、彼らは好きそうです。
一般に女性の地位が向上すると、離婚が増える傾向にあります。
それは女性が自立して生活できることで、
男性中心の家庭生活に我慢する必要がなくなるからです。

離婚が増えたことで「家族の絆が薄れた」というのなら、
それは女性の犠牲の上に成り立つ、不健全なものということになります。
そんなしろものはむしろ薄れたほうがこのましいです。

「世界的に離婚が増えている」
「女性に不利な結婚生活」

日本の離婚率の年次推移を見ると敗戦直後が1程度で、
高度経済成長期に0.8程度にまで下がります。
そのあとは増加傾向にあり、21世紀初頭には2.3になります。
それ以後は減少が続いていて、2010年代には2程度まで下がっています。

日本の離婚は「むかし」より増えたとは言えますが、
欧米の民主主義国や韓国、ロシア、オーストラリアと比べても、
日本の離婚率はそれほど高くなく、どちらかというと低いほうに入ります。
この程度の「離婚率」の上昇をもって「家族の絆」が薄れたとするのは、
わたしに言わせれば大げさだろうと思います。

「主要国の離婚率推移(1947~)」
主要国の離婚率推移(1947〜)

「家族の絆」なるものの実態は、突き詰めていくと、
彼らが「信仰」のようにしている「家族思想」にもとづいた、
「正しい家族」が維持されている状況ではないかと思います。
高度経済成長期に普及した、「夫が外で働き妻が専業主婦で
子どもはふたりくらいがいい」という「標準家族」のことです。

「信仰としての家族思想」
「信仰としての家族思想(2)」

夫婦共稼ぎの家庭や子どものいない夫婦、
シングルマザー、夫婦別姓、婚外子、同性結婚などは、
彼らにとって「正しい家族」に当てはまらないので「異教徒」です。
こうした「異教徒」の家族が増えることを「家族の絆が薄れた」と、
彼らは認識するのではないかと、わたしは思っています。

彼らにとっての「正しい家族」というのは、
女性は経済力を持たず夫に養われることを前提としています。
よって女性の地位が向上したことで、「異教徒」は増えたとは思います。
それを「女性の権利が認められたせいで家族の絆が薄れた」と、
彼らは表現するのではないかと、わたしは思います。


posted by たんぽぽ at 22:49| Comment(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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