それなりに長いこと生きてきたけど、選挙で社会が変わったとこ見たことないな。地道な運動で少しずつ押し返してるのは見てる。
— クーコ (@kuko_stratos) 2015, 4月 11
最近の選挙に限っても、2005年、2009年、2012年の衆院選は
どれもかなり社会を変えたと、わたしは思いますよ。
2007年と2010年の参院選も、これらの衆院選とくらべると
小規模だと思いますが、社会を変えたと思います。
@haieki ああ、そういえばそうですね。悪い方に変わったことはありましたね。
— クーコ (@kuko_stratos) 2015, 4月 11
なにか気のきいた皮肉を言ったつもりなのでしょうか?
2007年の参院選と2009年の衆院選は、
それなりによい方向に社会が変わったと、わたしは思います。
運動に関しては、わたしがむかしかかわった
ネットの選択的夫婦別姓の市民団体は、民法改正の実現に
なんら影響を与えることなく、茶番に終わりましたよ。
むしろ悪影響のほうを多く残したくらいです。
彼女たちの運動にくらべたら、選挙のほうが
ずっと社会をよい方向に変えていると思います。
これはかなり特異的な例であり、現実に社会を変えた
社会運動はたくさんあるのだろうと思います。
それでもあからさまな反例がある以上、
挙げておくことは意義があるだろうと思います。
わたしが想像するに、最初のツイートのかたは、
「自分たちの社会運動こそ実践的であり、社会を動かす力になる」
という、うぬぼれがあるのではないかと思います。
それで「選挙なんかでは社会が変わらない」なんて、
ニヒルな発想になるのだと思います。
社会運動に関わるかたが「選挙で社会は変わらない」なんて
主旨のことを言っていいのかと、わたしは思いますよ。
「選挙で社会は変わらない」という考えは、一般市民のあいだに
政治に対する無力感を蔓延させることになって問題だからです。
社会運動というのは、本来そうした無力感とは、
対極にあってしかるべきものだと思います。
わたしがかかわったネットの選択的夫婦別姓の市民団体も、
自分たちの活動に対するうぬぼれが強い人たちでした。
政権交代なんて、はなから取り合わなかったくらいでした。
そんな彼女たちも、選挙で社会が変わらないとまでは、
思っていなかったですよ。
上記ツイートのかたの、自分たちの運動にたいする自負心と
選挙に対するニヒリズムは、それ以上ということかもしれないです。