ブックマークを見ると、やはり批判が多くなってはいます。
それでも理解をしめしているコメントもいくつかあるのですよね。
あたまの中で作ったささいな「迷惑」とやらを
持ち出しているとしか思えないのに、なにか重大な指摘をしたと思う人は
それなりにいるようで、「足止め効果」は出ていると思います。
つぎのようにあのわかりにくい文章を、
擁護するために文章を書く人もいるくらいです。
「ロジックに対して厳密な態度って理解されないのだろうか。」
(はてなブックマーク)
この擁護する文章では、あのわかりにくい文章のことを
「ロジック」とか「厳密な態度」とか言って「評価」しているのですよ。
いったいどこがだよ?と言いたくなってきます。
どこにいるのかわからない「仮想反対派」を作り上げて、
ささいな「迷惑」とやらを考え出して、
選択的夫婦別姓が認められたときの重大な問題を
指摘したつもりになっているからです。
むしろ「言いがかり」と言ってもいいくらいで、
とても「ロジック」とか「厳密な態度」とは思えないです。
そんな「迷惑」よりも、選択的夫婦別姓が認められない現状で、
不利益を被る人たちの負担のほうがはるかに大きいです。
このようなちょっと調べればわかることさえわからないらしいのは、
基礎的な認識さえいい加減ということです。
とても「厳密な態度」とは言えないです。
ほかにも現在の日本社会では、夫婦同姓を選択することに
圧力はほとんどかからないとか、中高年層や、柔軟性のない人や、
多様性を認められない人ほど、夫婦は同姓であるべきと
考えているといった、夫婦別姓問題にさほどくわしくなくても
わかりそうなことさえ、認識できていなかったりします。
また「夫の姓しか選べないことになってるから」
などと書いていて、現行民法がどうなっているかさえ、
正しく認識していなかったりもします。
「厳密な態度」でのぞむ人はこんなことはしないでしょう。
あのわかりにくい文章を書いたかたの、
夫婦別姓問題に対する理解度がうかがえるというものです。
擁護する文章は
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これに「差別の片棒担ぎ」とか「太宰メソッド」
「実際は反対派だろう」みたいなコメが付くのが理解できない。
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などと言っています。
あのわかりにくい文章は、「足止め効果」が出ていますから、
「差別の片棒担ぎ」は立派にしていると思いますよ。
なぜ「実際は反対派だろう」なんて立場を疑われるのかですが、
それは選択的夫婦別姓に賛成と言いながら
理解する姿勢にとぼしく、ありそうもないケースを作って
「反論」することにはやたら熱心だからだと思います。
理解する姿勢にとぼしいというのは、
上述のように、夫婦別姓問題に関する基礎的な認識が
あやしいことがしめしていますが、ほかにも
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「最高裁、ぼく法律のこととかよくわからないからよくわかんないんだけど、」
「裁判がどうのはよく知らないんすけど、」
「僕は男性なのでそこらへんの感じよく分かりませんが既婚男性なので、」
「そう考えた時にそこまでしたその権利欲しいか〜って話なんですよね」
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など、わかろうとしない直接的な表明さえ何度もあります。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)の中には、
「自分は賛成派だ」と断わっておきながら、
どこにあるのかわからないケースや、ささいなデメリットを作り出して、
重大な問題を提示したかのように言ってくる人が実際います。
もちろん「足止め効果」を狙っているからでしょう。
あのわかりにくい文章は、そういう反対派(非共存派)の
やっていることとおなじと言えるのですよね。
よって「ズイショ」氏という人は、反対派(非共存派)が
立場を詐称している可能性を考えておいたほうが
いいくらいだと、わたしは思いますよ。