それは「不幸の原因(男女格差)を減らすこと」であって、
「幸福の実現」ではないということです。
「権利の獲得=幸福の実現」のように勘違いされがちですが、
そうではないということです。
フェミニズムはあらゆる人間の問題をすべて解決するような全体主義ではありません。...フェミニズムの目的は幸福の実現ではなく、不満の原因になっている男女格差を取り除くことです。権利の獲得と幸福の実現は別の次元のものなので、混同してはいけません。 − E・バダンテール
— フェミボット (@femibotjp) 2012, 6月 23
なにをもって幸福となるかは個人に依存するし、
そもそもが各人で決めることだと思います。
その幸せの追求は男女格差の是正や権利の獲得とは
一般的には無関係なところにあることが多いと思います。
それゆえフェミニズムはそうした「幸福の実現」には
関知しないことになるわけです。
そういえば民法改正の実現であっても、ほかの女性の権利に
関することであっても、不幸の原因を減らすためであり、
幸せになるためにやっているのとはどこか違うなと、
わたしもちょっと思ったりします。
反フェミの人の中には、ときどき「男女平等はかならずしも
女性を幸福にしない」と絡んでくる人がいます。
これも「権利の獲得=幸福の実現」という勘違いから来るものでしょう。
「フェミニズムの目的は不幸の原因を減らすことであり、
だれかを幸せにすることではないから、それであたりまえ」
というのがそのお答えになるでしょう。
この考えかたは、菅直人氏の持論である、政治の目的は
「最小不幸の社会」というものに、近いのではないかと思います。
いかにして幸福になるかは、個人が決めることであって、
政治が関わることではない、政治の目的は貧困とか差別とか、
不幸の原因を減らしていくことにある、というものです。
「菅首相会見:その1「政治の役割は最小不幸の社会を作ること」」
私は政治の役割というのは国民が不幸になる要素、
あるいは世界の人々が不幸になる要素を
いかに少なくしていくのか、最小不幸の社会を
作ることにあると考えております。
もちろん大きな幸福を求めることは重要でありますが、
それは例えば恋愛とか、あるいは自分の好きな絵を描くとか、
そういうところにはあんまり政治が関与すべきではなくて、
逆に貧困、あるいは戦争、そういったことを
なくすることにこそ、政治が深く力を尽くすべきだと
このように考えているからであります