2014年12月28日

差別も反差別もどっちもどっち

安田浩一氏によるヨーゲン取材の記事を読んだのですが、
やはりそれがかなり気に入らなないかたは、すくなからずいるようです。
そうしたかたをひとり見つけたので、ご紹介したいと思います。

「差別も反差別もどっちもどっち。ヨーゲン取材に寄せて」
「差別も反差別もどっちもどっち。ヨーゲン取材に寄せて。(簡易ver.)」

反反差別の人にありがちな主張を展開していますよ。
差別も反差別も「どっちもどっち」と言いたいもののようです。

>「どっちもどっち」論


「どっちもどっち」論を展開してきました。
「どっちもどっち」という中立原理主義は、
必然的に根拠のとぼしい主張や理不尽な主張をしている側に偏ります。
公平中立を装って、反差別を不当に扱うことができるので、
反反差別の人がよく持ち出す理屈のひとつです。

差別する側は自分から手を引けるけれど、
差別される側は自分から手を引けないです。
「SAN値を減らす」うんぬんは、差別する側にだけ言うことですね。
差別者がいなくばれば、差別される側は自動的にいなくなります。
それとも差別される側もSAN値を減らすから、
おとなしく差別されていたほうがいいと言いたいのでしょうか?



くわしい事情はわからないですが、「どっちもどっち」という態度が
批判されたのではないかと、わたしは想像します。
一連のツイートのような「どっちもどっち」論を展開すれば、
反差別に不利で差別する側を有利に扱いますから、
レイシズムに加担したと思うかたが出てきても、無理もないでしょう。

最後の「お願い」はだれに対して言っているのかと思います。
わたしはこのかたに「差別にかかわる事柄に
深入りしないでください」と言いたいですよ。
「どっちもどっち」の人が生産的な寄与をすることはまずないからです。



>多様性の濫用


ここはなにが言いたいのかわかりにくいのですが、
この前に「俺だって池田清彦や武田邦彦の本を発禁にして
やりたいって感情はあ」るが、自分はそれをやらないという
ツイートが前にあるので、気に入らなくても「とんでも」や差別者も
存在を認めるのが多様性だと言いたいのだと思います。

多様性を盾に取って「差別する人も認めろ」というのは、
反反差別の人がよく持ち出す理屈だと思います。
社会の多様性に排外主義や差別主義、反人権思想、
反民主主義思想をふくまないことはとうぜんの前提です。
これらは多様性を否定するからです。
自分で自分を否定するものはふくむはずもないです。
「多様なカチカンを認めないカチカン」が認められないのと同様です。

このあと生体系の多様性を引き合いに出していますが、
これは捕食が前提になっているからいっしょには扱えないです。
社会の多様性は他人を搾取・蹂躙する人の存在は前提にないからです。



>反差別の側への高いハードルの要求


特定の立場に甘いのは、だれでも多かれすくなかれそうだと思います。
人権問題と言っても多種多様です。
苦手な分野やくわしくない分野があって当然です。
むろん偏りはないにこしたことはないし、
偏っていればそれだけ信頼されなくなることはたしかです。
それでも完全無欠を期待するのも非現実的なお話です。

人権問題や反差別にかかわる人に、ことさらに「聖人君子」に
なることを要求するのは、反反差別の人がよく使う手だと思います。
反差別のほうに高い要求を出して、ハードルを高くするのですね。
差別者にはなにも言わないので、ただでさえ困難をともなう
反差別の活動をいっそうむずかしいものにするわけです。


「そんなやりかたでは理解されない」「かえって敵を増やす」といった
方法論の批判のしかたも、反反差別の人にありがちです。
差別される側は「一般人」の機嫌を損ねないよう
お伺いしなければならないという考えが含まれ、
それ自体被差別者より「一般人」を上に置く差別的発想です。


>自分のあたまの中に作ったイメージで批判


「みてりゃ解るが」というのは、なにを見たのかと思います。
安田浩一氏が「自陣営に甘い」とか「四方八方に噛みつ」いたと
言いたいのでしょうか?そうだとしたら、
なにを根拠に言っているのでしょうか?

早川由紀夫氏から類推しているようですが、
安田浩一氏とどう関係があるのでしょうか?
ふたりのやっていることはまったく重ならないです。
いっしょに活動したこともないです。
ふたりが同類だというなら根拠を挙げる必要があるでしょう。

ようは自分のあたまの中に作った「人権擁護や反差別の人」の
イメージで安田浩一氏を攻撃しているのでしょう。
早川由紀夫氏が人権擁護や反差別の人だとは、わたしは思わないです。



レイシズムという国際的に取り組まれている問題を、
「てめぇの正義だけ」と矮小化してきました。
日々誹謗中傷され恐ろしい思いをさせられる人がいるし、
そうした何人もの在日コリアンのかたの頼みを
安田浩一氏は聞いてのことなのに、「てめぇの正義だけ」ですよ。

個人が本を発禁にすることなんてできるのかと思います。
権力のある団体が圧力をかけないとむずかしいと思います。
安田浩一氏のヨーゲン取材は、なんら権力を必要とせず
一般の個人が公開の情報だけ使って合法的にできることだ、
ということが理解できていないのかもしれないです。


>切断処理

そもそもこのかたは、差別される側のことをどう思っているのかと思います。
なにも言及がないのですよね。
「一般人」うんぬんなんて言いかたは、自分は差別問題と無関係な
「高み」にいると思っているかのようです。
差別問題なんて自分と関係ない遠い世界で起きている、
くらいに思っているのかもしれないです、「切断処理」ですね。

自分が差別されそれによってなにか理不尽な被害を受けても、
差別者の「存在も認める必要がある」と、
このかたはおなじことが言えるかどうかですね。
このかたの場合、日本で差別されることはなさそうですが、
欧米でしばらく暮らせばありえると思いますよ。


>背景は個人的恨み?

このかたは、どのような事情にあっても匿名のうしろに隠れた
人物を特定することが、そもそも気に入らないのではないかと思います。
それで安田浩一氏に当たり散らすようなことを
言っているのもあるのかもしれないです。

このかたは匿名性に隠れた差別や誹謗中傷をどう思っているのでしょうか?
匿名性に隠れて当人が特定できないかぎり、
差別や誹謗中傷をすることは言論の自由のうちだ、
とでも思っているのでしょうか?


わたしはこのかたに、人権擁護や反差別の活動をするかたちへの
怨念と復讐を感じますよ。
「自分たちを支持しなきゃレイシスト呼ばわり」と
書き散らしてもいますし、反差別の活動をするかたたちへの
個人的恨みがあるのは、たしかでしょう。



一連の反反差別のかたのツイッターとブログ。

https://twitter.com/invasivespeacie
「ならなしとり」


posted by たんぽぽ at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治活動・市民運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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