2014年10月22日

高市早苗がリベラルだった?

選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)高市早苗氏が、
むかしはリベラルだったというお話があるのですよ。
これはまったく意外でした。
ご存知だったかたはいらっしゃるでしょうか?

「かつてリベラルだった高市早苗大臣が靖国固執に走ったワケ」

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/154125/2
大橋巨泉氏が週刊現代のコラム(2013年6月1日号)で、
村山談話に異を唱える高市氏への違和感をこう書いていた。
<二十数年前、リベラルで可愛かった早苗ちゃん、
あの司会のおじさんを覚えているよね! 君は間違っているんだよ>
国会議員バッジを着ける以前の高市氏を知る関係者もこう言う。
「20代半ばに米国に渡った彼女は、民主党の女性下院議員の事務所入り。
左派リベラルでフェミニズム運動の先頭に立っていた
改革派議員の元に2年近くいたのです」

わたしが高市早苗氏の存在を認識するようになったときは、
この人はすでに選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)でしたね。
21世紀に入ってからなので、まだ20年は経っていないです。


2001年11月の選択的夫婦別姓に関する自民党法務部会で、
高市早苗氏は通称使用の案について述べています。
2002年3月の雑誌『諸君!』では、高市早苗、西川京子、山谷えり子の
3人で選択的夫婦別姓に反対する対談記事を載せています。
このときにはすでに、高市早苗氏はタカ派だったのでしょう。

「高市早苗の通称案(略年表)」
「山谷えり子議員の反対声明」

ゲンダイの記事の2ページには
そんな高市氏がタカ派色を強めていったのは小泉政権の頃。
02年に「小泉総理の靖国神社参拝を実現させる超党派国会議員有志の会」の
会長に就任すると、続く安倍政権で沖縄・北方相に就任。
とあります。
わたしが高市早苗氏の存在を知るようになったころが、
ちょうど彼女がタカ派色を強めていった時期だったみたいですね。


なにが高市早苗氏を右翼にしたのかと、ここで思うところです。
どうも自民党内で出世するために必要だったらしいのですよね。
これは自民党というのは、右翼のほうが幅を利かせやすく、
右翼イデオロギーを標榜しているほうが居心地がよいところ、
ということをしめしていることになるでしょう。

「これといった実績に乏しい彼女ですが、時の権力との距離感は抜群です。
政調会長時代は官邸の意向を党内で揉まずに平然と丸のみしていましたし、
靖国参拝も権力にすり寄るための方便だと冷めた目で見る向きは少なくありません」

またこれは、女性がこのような組織で取り立ててもらうには、
どうしたらよいか、というか、どうせざるをえないかを
しめしているとも言えるでしょう。
ようは組織内の体制にべったり迎合することになるということです。

一般の組織ではそれは男社会的な社会通念であることが多く、
かかる女性は「名誉男性」化することが多いのだと思います。
自民党の場合はその「組織内の体制」が、
「右翼イデオロギー」ということなのでしょう。


posted by たんぽぽ at 20:34| Comment(2) | 人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
山谷えり子もそんな感じがありますね。
私は、彼女のかつての意見や主張に詳しくないのですが、サンケイリビング編集長としてマスコミに出ていた頃は、仕事と子育てを両立する働く母親として女性の自立を唱えていたような記憶があります。
(昔の話なんで、記憶違いかも知れないですが)
Posted by イカフライ at 2014年10月23日 21:26
こちらにコメントありがとうございます。

山谷えり子がサンケイリビングにいたというのは、
わたしも聞いたことがあります。
産経ながらわりあいリベラルな主張をしていたのかもしれないですね。
山谷えり子は最初は民主党から出馬したのですが、
政治的旗色も、自民より民主に近かったのかもしれないです。

山谷えり子がいつごろから右翼と化したのかはわからないです。
夫婦別姓の反対表明をしたときは、まだ民主党にいたときですね。
自民党に入って、右翼系宗教団体の支持を得るために、
急速に右傾化したことは考えられます。
Posted by たんぽぽ at 2014年10月23日 22:34
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