土井たか子氏の訃報を、喜んだり祝ったりするたちもいるのですよね。
ぜんぜん遠慮がないです。
「【元社民党】「ざまあwww」土井たか子の死を喜ぶ人々」
(はてなブックマーク)
あの百田尚樹氏も、ここぞとばかりに土井たか子を批判です。
「百田尚樹氏が土井たか子氏の訃報に「まさしく売国奴だった」と批判」
(はてなブックマーク)
土井たかこを批判したら、何人かの人から「死者の悪口を言うな」とのリプライをもらった。他人に人格を説く人たちに聞きたい。政治家は死ねば批判から免れるというのか。もう一つ言いたい。他人に品格を要求するくらいなら、あなたたちも私も批判するな。
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2014, 9月 28
ここでわたしが取り上げたいのが、
むかしお話した「しかばねに鞭を打つ」問題ですよ。
「しかばねに鞭を打つ」
上述の人たちは、自分が親しい人や信頼している人がなくなったとき、
それを喜んだり祝ったりするかたがいても、容認できるかだと思います。
自分にとっては「よき人」でも、他人にとっては「忌まわしき人」
ということは、いくらでもあるからです。
百田尚樹氏も、自分が信頼している政治家が亡くなったとき
酷評する人が出てきても、「死ねば批判から免れるというのか」と
おなじことが言えるかどうかだと思います。
言えるなら「しかばねに鞭を打つ」のも、いちおういいだろうと思いますよ。
付記:
土井たか子氏の訃報を喜んでいる人たちの中に、
「土井たか子=李高順」というデマを信じている人が
結構たくさんいるのが、あきれを通り越して失笑してしまいます。
これはネットで流されたデマで、むかし産経新聞の花岡信昭氏が
信用して雑誌『Will』に書いたため、裁判ざたになったのでした。
もちろん花岡信昭氏の敗訴です。
そういういわくつきのデマを、いまだに信じていられるというのは、
どれだけ情報リテラシーが欠如しているのかと思います。
「土井たか子・朝鮮半島出身在日李高順説 花岡信昭裁判と加賀孝英」
関連エントリ:
「社民党・土井たか子逝去」