2014年08月14日

宗教の代わりとしての家族

8月11日エントリと8月13日エントリの続き。
日経新聞の高市早苗氏と二宮周平氏へのインタビュー記事です。

「高市早苗と二宮周平に聞く」
「高市早苗と二宮周平に聞く(2)」

「家族はどこへ向かうのか 高市早苗氏と二宮周平氏に聞く」
「【創論】 揺らぐ家族観--
自民党政調会長・高市早苗氏、立命館大学教授・二宮周平氏」


二宮周平氏へのインタビューで、最後の質問に関するところは、
わたしがとくに注目したいところだと思います。
--日本にも根づくでしょうか。
「日本人は宗教意識が低いかわりに、伝統的な価値観に
依拠しようという人が多いのではないか。“家族”という言葉に弱い。

わたしもこれは感じ取っていますよ。
「家族のカチ」を信奉する人たちは、かかる家族観が宗教の代わりに
なっているのではないかと思われるのですよね。


子どもの虐待とかDVとかモラハラ親とか、問題家庭なんて
いくらでもあるのに、「家族の絆」とか「家族の一体感」とか、
なにを根拠にそんなことを言うのかと、じつにいぶかしく思うところです。
彼らの家族観はカルト的信仰なので、事実や根拠に関係なく、
教条的に「家族はあったかい」ことになっているのでしょう。

選択的夫婦別姓の必要性をいくら根拠を挙げて説いても、
まったく聞く耳持たず、頑迷きわまりなく反対するというのも、
彼らの家族観がカルト的信仰であるからとも言えるでしょう。
「教義」に反するものは無条件に許せないということです。

また選択的夫婦別姓を認めると家族が崩壊するとか、
さらには国家が解体するといった、狂気としか言いようのない
被害妄想に走るのも、彼らのカルト的な信仰のコアに
抵触するゆえではないかと思います。
それくらいの「宗教的タブー」ということなのだと思います。

だが、日本の家族の伝統とは何か。
その伝統の下で苦しんできたのは女性であるということを忘れるわけにはいかない」

ここでは「伝統回帰論への懐疑」に照らし合わせてみるのがよいでしょう。
3条件のうち、上記引用に関係するのは1.と2.になります。

「伝統回帰論への懐疑」

1. それは本当に伝統なのか?

家族に対して日本人が信仰を持つようになったきっかけは、
明治以降に整備された近代家族制度の影響や、
第二次世界大戦後に普及した「夫が外で働き妻が専業主婦で子どもはふたり」
というのが「標準家族」という家族思想の影響が考えられます。

「家族は血縁という思想」
「多様な家族を認める時代」

この家族信仰のコアは「家族=血縁」ですが、
これはもともとはキリスト教国の家族観だったのでした。
日本は明治以降、欧米諸国から輸入したものということです。
日本に定着したのは近代以降で、比較的歴史の浅いものでもあります。


2. その伝統の利益は万人が享受できたのか?

高度経済成長期の「標準家族」は、男性が自由に働けるようにする必要から、
女性に無償の家事労働に従事させるために、
みずからの経済力が持てず夫に依存するようにしたのでした。
「家族のカチ」が女性の犠牲の上にあることはもちろんです。

一般に古い時代というのは社会が未成熟なので、
構成員全員の権利を保証できないことが多いです。
それで社会の維持のために、通常は弱い立場の者を犠牲にすることになります。
「伝統」とされるものは、その社会的弱者の犠牲が
固定化されていることが多いということです。


謝辞:

メインブログの4月9日エントリで、日経のインタビュー記事と
全文を転載しているエントリを紹介してくださった魚さま、
ありがとうございます。


posted by たんぽぽ at 15:58| Comment(0) | 家族・ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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