球技大会(ソフトボールとかテニスとか)を行なうことがあると思います。
そのとき女性の選手がいると、なんらかの優遇措置を設けることも多いと思います。
その優遇措置として大学の野球大会で、女性の選手がひとりいると
1点与えられるのがご不満だというかたがいるのですよ。
「女性の参加一人につき一点」
女性の選手がいると1点与えるなどの優遇措置を設けるのは、
野球は男性よりも女性のほうが苦手であることが多いからですね。
これは記事を書いたかたも、ご自分で認めていらっしゃります。
1.女性は一般的に男性よりも運動能力が劣り、
また社会的風潮により幼少時から野球に勤しんでいる者が少ないため、
任意に抽出した男女では女性の方が野球が下手である確率が高いと考えられるので、
その差を補う有利条件として女性側に1点を与える。
一般に男性のほうが女性より体力が上という生物学的な事情があります。
また、現在の社会通念では女性のほうが男性よりも、
野球をやる機会はすくないでしょうから、ジェンダー的な理由でも
女性は男性より野球が苦手になりやすくなります。
ようするにここには「女性だからという理由で野球が苦手」という、
社会構造上の問題があるということです。
これを埋め合わせるために女性の参加に対して優遇措置を設けるのは、
一定の妥当性があることになるでしょう。
大学の野球大会ですから、勝ち負けよりも参加者全員が楽しめて
おたがいが親睦を深めるほうが大事だろうと思います。
女性というだけで野球大会を敬遠するかたもいるでしょうから、
そうした女性を親睦の場から締め出さないために、
女性の参加を即す措置をほどこすのはもっともだと言えます。
記事を書いているかたは、
これは、人間をある属性に着目して分類した場合にその属性になどと言っているのです。
統計的に認められる優劣を、その属性を有す者すべてに一般化する発想でしょう
これは個性を重視する必要があるときに、画一的に外から規範を
押し付けようとするときに問題になることです。
個性を無視してジェンダー規範を押し付けると「差別的」ということです。
ところが「女性という理由で苦手」という社会構造上の問題があって、
それを補うための措置に対して、このような理由で反対したら、
社会構造上の格差がいつまでも是正されないことになります。
これは現状の男女格差をかえって固定化することになるでしょう。
このかたは、最初と最後でつぎのことを書いています。
恐らく私はこの建物内のどの女性よりも野球もテニスも下手くそな「男の自分のほうがスポーツが苦手なのに、女ばかり優遇されやがって」
(というかルール自体知らない)人間であり、
これまでも野球大会からは 逃げていたので意見する立場にはありませんが、
ちょっと一言久しぶりに通りすがりの意見を述べさせて戴きましょう。
テニスのできない私は橋梁研テニス大会が憂鬱です。
基礎製図の担当日と重なって出なくて済むことを願っているくらいです。
こんな私が野球の試合に出たりしたら1試合につき
10点ぐらいはもらえるでしょうか...
という不満が、根底にあるもののようですね。
女性の参加者に優遇措置というのは、男性と女性という
カテゴリ間の格差を埋め合わせるという社会構造上の問題です。
これを各個人の能力の問題ととらえるのは、
差別とは社会構造に関わる問題であるという本質を
理解していないことになります。
「差別のメカニズム」
社会構造上の格差を埋める暫定措置というのは、
女性よりスポーツの苦手な男性とか、一部に取り残しが出ることにはなります。
それでも実際に「女性という理由で苦手」というかたが多い以上、
暫定措置で救済されるかたが多いので、現実的に可能かつ
もっとも妥当な対策として、採用されるということです。
取り残される人にこだわって暫定措置に反対したら、
だれも救済されないことになります。
それよりも相当数の人が救済されるなら、取り残される人がいても、
あえて採用したほうがいいという立場です。
極端な理想論に走って「サバルタン探しゲーム」をしないということです。
記事を書いたかたは、女性選手の優遇措置が気に入らないなら、
どうしたらよいと言うのかと思います。
社会構造上の男女格差など是正する必要はない、
女が親睦の場に入れなくてもかまわない、ということでしょうか?
優遇措置に反対するなら対案を出してほしいですね。
あくまで個人の能力差にこだわるなら、
事前にスポーツテストをするよりないでしょう。
親睦が目的のおそらく年に1-2回くらいしかやらないであろう
レクリエーションのために、そこまでやるというのでしょうか?
予算と時間の両面からあきらかに非現実的です。
たかが職場のレクリエーションごときで、と思ったかたも
いらっしゃるかもしれないですが、「弱者男性」の思考構造が
よく現れていると思ったので、取り上げてみました。
(「たかが...ごときで」と言いたくなることに
絡んでくるのが「弱者男性」だったりしますしね。)
わたしが連想したのは、「レディスデーは男性差別だから反対!」ですよ。
(アナロジーを感じたかたもいるのではないかと思います。)
レディスデーも男女の賃金格差という社会構造上の
問題があるので、それを埋め合わせるために暫定措置として
企業が市場確保のために行なっているものですね。
そして「弱者男性」たちは、社会構造上の問題が理解できないし、
「男でも年収のすくない人もいるのに」とかなんとか「例外」を並べて、
自分が被害にあっているかのように反対するでしょうしね。