そういう方々には、a. 政府とか自民党とか東京電力とか理研とか、「巨大な」悪、b. それに反対する「弱者」の側に立つ善、c. 本来は被害を受けているのに(巨悪に騙されているために)気がつかない無知蒙昧な大衆、という図式で物事を観察するのが特徴。当然自分はb. だと認定する。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2014, 5月 11
つぎのツイートを見ると、具体的にはある種の脱原発派を想定していますね。
ある種の脱原発派にかぎらず、ほかの反権力の人にも見られる社会観だと思います。
そういう方々にとっては、世の中には三種類の人間しかいない。巨悪に加担する者、正しい人、騙された愚かな大衆。「福島に人は住めない」という言説は無条件に「正しい」。現に住んでる人は政府か東電に騙された愚か者。そして、そういう言説が「困ったもんだ」と嘆く私は、「御用学者」。わかり易い。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2014, 5月 11
むかしの政治批判ブログを書く人たちの中にも、
このような社会観を描く人が多かったと思います。
彼ら政治批判ブログ書きたちは、もちろんみずからをb.と規定しています。
そんな彼らのあいだで、「B層」という概念が取りざたされ、
かなり話題になったことがあったのでした。
「B層」はまさに上述のc.によく当てはめられるので、
彼らの描く社会観にうまくマッチしたのだと思います。
「「B層」とは?」
「水伝騒動」の「共感派」の人たちの一部には、
「強大な敵である権力」とそれに対峙する「小さなリベラル世界の自分たち」
という図式を描いている者がいたのでした。
これはまさに「強大な権力」をa.として、それと闘っている
「小さな世界の自分」をb.と想定していることになるでしょう。
「小さな世界(2)」
民主党が政権を取りそうになった2009年ごろから、ネットの政治ブログを
書く人たちのあいだでは、熱狂的な小沢支持者と共産党支持者とのあいだで、
分裂が見られるようになってきました。
熱狂的な小沢支持者は、官僚やアメリカ合衆国、マスコミ、自民党など、
政治主導の敵対勢力をa.と考えていたようです。
民主党政権は対立がありましたが、このうち官僚などの既得権益層にひよる
菅政権や野田政権をa.の手先のように考え、
それと対峙する小沢氏や鳩山氏のグループをb.と考えたようです。
自分たちはb.なので小沢氏を支持するというわけです。
官僚やマスコミにだまされる「大衆」が、彼らにとってのc.です。
自分たちを批判する共産党支持者のことは、上記のツイートに出てくる
「御用学者」の立ち位置のように考えたものと思います。
「御用学者」の立ち位置は、a.の手先と認識されると思います。
熱狂的な小沢支持者にとって、共産党は自民党を助ける勢力であり、
自民の補完勢力ですから、共産党の支持者はa.の手先という規定にも
合うことになります。
共産党支持者は彼らが信奉する従来からの政党観である
「自民も民主もおなじ」にもとづいて、民主党政権を丸ごとa.と考えたようです。
彼らは民主党内部にいた小沢氏や鳩山氏のグループもa.と考えたと思います。
そして彼らは、政権党にいる小沢がb.であるはずないと、
小沢支持者たちを失笑したのでしょう。
共産党支持者は「前衛思想」がありますから、
自分たちが導くべき無知な大衆をc.と想定することになります。
小沢はa.なのにb.だと思っている熱狂的な小沢支持者のことも、
c.のうちだと想定していたものと思います。
熱狂的な小沢支持者も共産党支持者もおなじ社会に住んで
おなじものを見ているのに、a.、b.、c.の規定のしかたが違うのが
なかなか興味深いところだと思います。
「a.、b.、c.の三種の人間しかいない」という社会観は
しょせん恣意性があるものだ、ということなのでしょう。
それでもどちらも「a.、b.、c.の三種の人間」という社会観を描くので、
「左」のメンタリティを保持しているとは言えるでしょう。
熱狂的な小沢支持者と共産党支持者とで攻撃し合うのは、
「セクトどうしの殴り合い」みたいなものかもしれないですね。
付記:
ツイートに出てくる「そういう方々」はどういうかたがた?
とお思いになるかたもいるだろうと思います。
ツイートではどういう文脈で語られたかがわかるよう、
前後のツイートをリンクしておきます。
ぼくらくらいの世代までは、何がなんでも「左」でいたい、という情念のようなものが一般的に割とあって、『共産党宣言』しか読んでないのに共産主義にかぶれる、という現象がよくあったわけだが、いまの学生にそれを言っても、いつの時代のどこの国の話かわからん、という顔をされる。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2014, 5月 11
で、その世代の雰囲気を今に持ち越し、自分が「左」であることにアイデンティティを感じてる人は、「左傾化思想の持主」と認定して差し支えないと思う。ホントにマルクスを理解してんの、なんて問うても詮ない。露骨に言えば、当人にとっても思想の中身はどうでもいいわけで。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2014, 5月 11
そういう方々には、a. 政府とか自民党とか東京電力とか理研とか、「巨大な」悪、b. それに反対する「弱者」の側に立つ善、c. 本来は被害を受けているのに(巨悪に騙されているために)気がつかない無知蒙昧な大衆、という図式で物事を観察するのが特徴。当然自分はb. だと認定する。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2014, 5月 11
マルクスの徒は自己を「前衛」と規定して「資本家」を倒すために命がけで革命に挺身したんだけど、いまの彼らにそんな気はなく、「巨大な」悪を糾弾するのを、自分の商売のタネにする。そして、そのために「愚かな大衆」を踏み台にするのをいとわない。この最後の点が、人間として許せないところ。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2014, 5月 11
そういう方々にとっては、世の中には三種類の人間しかいない。巨悪に加担する者、正しい人、騙された愚かな大衆。「福島に人は住めない」という言説は無条件に「正しい」。現に住んでる人は政府か東電に騙された愚か者。そして、そういう言説が「困ったもんだ」と嘆く私は、「御用学者」。わかり易い。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2014, 5月 11
実に単純で、分かり易い。そして、そのようなものの見方に毒されてしまうと、事実を虚心坦懐に見られなくなる。自分の過去の否定になるので。あるいは、目をつぶる。商売に差し支えるので。マルクス主義の悪い面だけを受け継ぎ、自分の商売のために弱者を踏み台にするそういう輩を、私は心底軽蔑する。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2014, 5月 11