享年95歳です。長生きしました。
10日には追悼式が盛大に行なわれ、世界各国の首脳が出席したのでした。
「南ア初の黒人大統領マンデラ氏が死去、米大統領「勇敢な人物失った」」
「マンデラ氏追悼式に首脳ら90人参列へ 大画面中継も」
ご存知のように、マンデラ氏はかつて南アフリカ共和国にあった
人種隔離政策(アパルトヘイト)と闘い続けたかたです。
国家反逆罪で1990年まで27年間投獄されたことがとりわけ痛烈です。
人種隔離政策の終焉後の1994年には、南アフリカ共和国で初の黒人大統領となりました。
日本と南アフリカ共和国との関係というと、黒歴史があるのですよね。
日本は非白人種にもかかわらず、南アフリカ共和国に対する
人種隔離政策を間接的に助けることをしていたのでした。
イギリス連邦やオリンピックからも締め出されて、
国際的に孤立していた南アフリカ共和国における人種隔離政策を
延命させる原因のひとつにもなったのでした。
「アパルトヘイト制度時代の南アフリカと日本と安倍晋三」
(はてなブックマーク)
国連総会は1952年から毎年南アフリカ共和国に対して
非難決議を採択しましたし、1973年に国際連合総会で採択された
国際条約では人道に対する罪とされました。
それでも人種隔離政策に対して国際社会からの制裁が強まったのは、
1980年代に入ってからで、このころから南アフリカ共和国に対する
経済制裁が強まっていくことになります。
ところが日本は、国内の企業の利益のために、
南アフリカ共和国に対する経済制裁に不熱心だったのです。
おかげで1980年代の後半には、南アフリカ共和国にとって
日本は最大の貿易国になっていたのでした。
国際連合は日本にも非難決議を出したこともありますし、
諸外国も日本のせいで、南アフリカ共和国に対する経済制裁の効果が
弱められると批判をしていましたが、日本政府は馬耳東風でした。
日本人が基本的人権に理解がとぼしいのは、
いまにはじまったことではなかったようですね。
哀れというか痛々しいのは、日本人は人種隔離政策によって
差別される側であるにもかかわらず、南アフリカ共和国を助けていたことです。
「日本人も差別されるんですよ」と諸外国から言われていましたが、
目先のお金のために、自分の首を絞める政策に「寛容」でした。
金に眼がくらんでいるというか、金の亡者っぽいものを感じますね。
「エコノミックアニマル」と言われただけのことはあると思います。
経済力があるということで、南アフリカ共和国は1961年から
日本人を「名誉白人」として扱い、人種隔離政策の対象外にしていました。
それゆえ日本人は、人種隔離政策に鈍感になれたのもあるのかもしれないです。
それでも、白人と非白人種との恋愛を禁止する「背徳法」など、
名誉白人扱いされない法律もあって、多分に屈折したものを感じます。
こういう黒歴史を振り替えると、人種隔離政策と闘った
ネルソン・マンデラ氏の追悼式に日本人が出席するというだけで、
おこがましいものがあるのかもしれないです。
日本からの出席者は皇太子と福田康夫元首相でしたが、
あえて現役の首相や外務大臣が出席しなかったところに、
あたりさわりのない人選にしたと言えるかもしれないです。
(日本政府なり外務省なりが、本当に日本と南アフリカ共和国との
過去のこうした関係に配慮して、皇太子と元首相を追悼式の出席者に
選んだのかどうかはわからないです。ねんのため。)
南アフリカと日本が、文化的にも地理的にも遠い国ってのも、大きな理由の一つだと思うのら。現代だと、フランスが北朝鮮と貿易しているピョン。
ただ、安倍総理が弔問しなかった理由になったってのは、さすがに考えすぎなんじゃない?彼は例の法案を通すために、日本を離れる訳にはいかなかったんじゃないのかにゃ。
>当時の日本はまだまだ貧しかったし、
いや貧しくはなかったですよ。
1980年代ですからバブルの時代、日本がいちばん金回りがよかったころですからね。
南アフリカ共和国も、経済力があると思ったから、
日本人を「名誉白人」待遇にしたのですし。
日本が貧しい国であれば、「名誉白人」にはしなかったでしょう。
>文化的にも地理的にも遠い国ってのも、
縁遠い国というのはあるかもしれないですね。
当時の日本人にとって、南アフリカ共和国については、
人種隔離政策のこと以外はほとんど知らなかっただろうと思います。
旅行する可能性のある国ではぜんぜんなかったので、
その国でやっている差別も関心がなかったのかもしれないです。
>安倍総理が弔問しなかった理由になったってのは、
日本政府ないし外務省が、日本と南アフリカ共和国の過去のことを考えて、
首相や外務大臣を追悼式の出席者に選ばなかったのかどうかは、
わたしにはわからないですよ。
結果的にせよ、出席者を皇太子にしておいてよかったかもね?とは思いますが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E4%BA%BA%E7%A8%AE
当時の日本は知財の使用料で大幅な持ち出しだったけど、2013年の日本は知財で大きな黒字になっているピョン。
あと、マンデラさんの危篤はだいぶ前からニュースになっていたし、95歳という高齢だったから、Xデーは織り込み済みだったと思うのら。
1980年代はどう考えても日本は「金持ち」でしたよ。
「金あまり」なんて言われて、のぼせ上がっていたくらいですからね。
海外旅行に行く日本人も多く、外国でいっぱいお金を落として来て、
「日本人は金持っている」と、諸外国から思われてましたし。
南アフリカ共和国が日本人を「名誉白人」待遇にしたのは1961年ですね。
これから高度経済成長という時期だったけれど、
南アフリカ共和国からは日本は経済力のある国と
すでに見られていたということですね。
>Xデーは織り込み済みだったと思うのら
だいぶ前から、ネルソン・マンデラの追悼式に
首相は行かないと決めていた可能性は考えられます。
首相が行かない理由に、日本と南アフリカ共和国の過去のことが
あったかどうかは、わたしにはなんとも言えないです。
首相は行かないと決めていた可能性は考えられます。
これがよく分からないんだよねえ。「(安倍総理は)行かないと決めている」って、どうしてそんな風に考えるの?「安倍総理は弔問に行けたら行くって考えていた」って方が、ずっと可能性が高いんでは?それで例の法案通過のために、あるいは近隣諸国の動向のために、葬儀には出席しなかったと。
1980年代が日本は貧しかったなんて主張していなくて、貿易依存度が相対的に高くて、他国との貿易摩擦を何度も起こしたイケていない経済構造だったってことです。例えば日本とアメリカは、半導体や車、古くは繊維で、何度も火花を散らしました。
>「(安倍総理は)行かないと決めている」って、どうしてそんな風に考えるの?
>「安倍総理は弔問に行けたら行くって考えていた」って方が、ずっと可能性が高いんでは?
安倍首相が実際にどのように考えていたかは、わたしにはわからないです。
安倍が追悼式に出席しなかった理由はなんなのか、
あるいは安倍が追悼式に出席しようと思っていたモチベーションは
どれくらい高かったのかは、憶測しかしようがないし、
これ以上詮索することにわたしはあまり興味ないです。
わたしが言えるのは、結果的にせよ出席したのが皇太子でよかったのかもね?
ということだけです。
>1980年代が日本は貧しかったなんて主張していなくて、
>貿易依存度が相対的に高くて、他国との貿易摩擦を何度も起こしたイケていない
>経済構造だったってことです
はじめのコメントで「当時の日本はまだまだ貧しかったし、」と書いていますよ。
2回目のコメントでは、「相対的に貿易依存度が高い経済構造」と
書いていらっしゃりますが。
当然、たまごどんにも分からないし、たんぽぽピョンと同じく、さして興味もないのら。たんぽぽピョンが次のように書いたから、「なんでこう思ったの?その根拠は?」と思った次第です。根拠がないということはよく分かりました。
>だいぶ前から、ネルソン・マンデラの追悼式に
首相は行かないと決めていた可能性は考えられます。
1960年代でも1980年代でもいいけど、日本の富の蓄積は2013年現在の方が分厚いピョン。IBMのコンピュータを勝手に模倣したIBM産業スパイ事件(1982年)に代表される知財無視の模倣事件も多かったみたいだし、エコノミックアニマルなんて有難くない呼び名も1980年代の時なのら。
安倍首相がどう考えていたかは、これ以上の情報がないので、
考えるのはよしたほうがいいと思います。
(エントリの最後でもかっこ書きの中で「わからないです。ねんのため」と
いちおうは書いたのではありますが。)