中高年男性向けのビジネス雑誌では、そういう記事がよく書かれるというのですよ。
「“草食男子”の二の舞い? 「女の敵は女」を喧伝するおやじ週刊誌」
すこし前までは、おやじたちは若者を攻撃していたのですよね。
そうした彼らの矛先が女性に変わったということです。
社会の既得権益層が、彼らにとって目障りで責任を押し付けやすい
社会的弱者を叩いて、溜飲を下げるパターンが続いていると言えます。
上述の記事によると、こんな見出しの記事があるのですよ。
わたしはこれらの雑誌を直接読んでいないので、引用されている見出しだけで
判断することにします。
「女性昇進バブル--我が社の救世主か 疫病神か」
(「日経ビジネス」8月26日号、日経BP)
「職場のお荷物か? 戦力か? ワーキングマザー」
(「週刊東洋経済」8月31日号、東洋経済新報社)
「職場、恋愛、結婚……女の脳と男の脳は、どこが違うか?」
(「プレジデント」9月2日号、プレジデント社)
はじめのふたつは、
「救世主か 疫病神か」
「お荷物か? 戦力か?」
という二項対立ですね。
「女には男にはない神秘的な力があって、その使いかたによって
男の利益になったり害悪になったりする」という『魔女と聖女』の発想ですよ。
男にとって利益か害悪かという視点で女性を議論するというのが、
すでに女性の客体視もいいところだと思います。
3つ目は「男女脳の違い」ですよ。
「男女で脳の構造に違いがある」という主張に科学的根拠がないことは、
わたしは何度かお話をしていることです。
こんなにせ科学を持ち出して、自分の立場を正当化しようとするのであれば、
そういうおやじたちは、なかなか知的に退廃していると思います。
きわめつけは記事の見出しにもある「女の敵は女」です。
「女で地獄と化す職場」(日経ビジネス)
「バリキャリママvs.ゆるキャリママ 仁義なき抗争」(東洋経済)
「『女が女を嫌いになる原因』働く30代女子が大放談」(プレジデント)
こうやっておやじたちが、女性どうしを闘わせるのは、
古来より為政者がよく使ってきた「分断統治」の一形態と言えます。
被抑圧者どうしを闘わせることで、団結して為政者に挑むのを防ぐとともに、
為政者はなんら手を下すことなく、被抑圧者どうしで消耗しあってくれるので
いろいろと都合がいいということです。
最後に男が出て来て「上から眼線」で語る、というのが嫌ですね。
「女どうしの闘い」をセッティングしたのはおやじたちだというのに、
盗人たけだけしいものを感じます。
ところがなぜか最後に登場するのは、映画監督の大林宣彦なのである。
要するに「女を競わせて、最後は男が上から目線でその問題を語る」という体裁だ。
しばらくはこの手の女叩きが、さまざまな媒体で特集されるだろう。
かかるおやじたちの「女性論」というのは、「魔女と聖女」とか
「女の敵は女」なんて使い古された図式をまたぞろ持ち出したり、
「男女脳の違い」なんてにせ科学を持ち出している、ということです。
こうした議論(?)は、現実の問題解決にはなんら役に立たず、
その場しのぎ的に女を叩いて、おやじたちが溜飲を下げるだけの
「現実逃避」にすぎないことをよくしめしていると思います。
10年前でも「まだこんなことを言っているのか」
というレベルだったのですが。