この校長、セクハラの反省がないらしいことがわかりました。
顛末書を書いているのですが、ここで「セクハラのつもりはなかった」
なんて意図を否定しているのです。
「セクハラ:「007の様な行動」と否定 校長が顛末書」
(はてなブックマーク)
なんと
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「保護者から情報を得るため気を引く「007の様な行動」」
「故意に触ったことは決してない」
「ジョークの一部」「セクハラを意識して行った行為ではない」
「女性スパイに対して情報が入るように愛情表現で語りかけ、気を引き成果を上げる」
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といったことを書いているのですよ。
セクハラの加害者は、決まって「セクハラのつもりはなかった」と言います。
なにがセクハラに当たるかがわかっていないから問題になるのですよね。
意図しなかったことがセクハラだったということを
理解する必要があるのであり、それを理解せず意図を否定するようでは、
本当に反省しているのかと疑われてとうぜんだと思います。
批判されると一生懸命自己正当化の主張を展開するのは、
「親分」の橋下徹大阪市長によく似ていると言えますね。
人物評価の面接は、選考する人とおなじような人間が採用されると言います。
やはり「類は友を呼ぶ」で、橋下市長と似た人物が選ばれたのかと思います。
前にもお話したように、この校長はほかの小学校に赴任することになっています。
セクハラに対する反省がないらしいとわかったいま、
こんな校長が来る学校はますますもって災難だろうと思います。
新しい赴任先でまたセクハラをやって、それに対してやはり反省がない、
ということになる可能性がいっそう心配されるからです。
一般に性犯罪は再犯性が高い傾向があるので、さもありなんとも言えるのですよね。
橋下氏は「ワンチャンスを与えてもいい失敗だ」などと言って
この校長先生を擁護したのですが、やはりもう一度チャンスを
与えていいような失敗ではないことが、あらためてしめされたと言えます。
橋下氏の性犯罪に対する認識が甘いということでもあるでしょう。
関連エントリ:
「ふたりはセクハラ男」
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