どうもうしあげてよいのやら、ですよ。
「「歴史修正主義者はアウト」の鉄板さ」
どんな分野でも反人権的であれば「人間の尊厳に対するシニシズム」だし、
反知性的であれば「人間の知的営為に対する侮蔑」だと思います。
歴史認識だけが特別扱いされることはないと思いますよ。
歴史修正主義はヨーロッパの民主主義国では犯罪ですし、
ほかの反知性主義と比べて政治的な危険が大きいとは言えます。
それゆえ歴史認識についての知見は特別だと言いたいのでしょうか?
はじめのエントリを書いたかたは、つねづね歴史修正主義を
批判しているのですが、歴史認識に関心のあるかたは、
往々にしてこういうセントリズム(中心主義)というか
我田引水の傾向が強いように、わたしは思います。
はじめのエントリでとくにすごいとわたしが思うのは、
自分で自分のことを「恃むに値する」と言ってしまうところですよ。
なんだこの自意識過剰は?と、わたしは思いましたよ。
歴史修正主義を信奉する人には、相応の警戒が必要なのはたしかでしょう。
でも歴史修正主義に批判的でも、ほかの分野では反知性的なこともあるし、
人間性が優れているかどうかなんてべつ問題だろうと思います。
それだけで「恃むに値する」とはかぎらないことだと思います。
一般ににせ科学を批判しているかたは、自分がうとい分野であれば、
自分もにせ科学にだまされる可能性があると考えていると思います。
つねづねにせ科学批判をしているからといって、
それで自分が立派な人間だとも思っていないでしょう。
すくなくとも、こういう議論をするかたが「恃むに値する」とは、
わたしにはちょっと思えないですね。
「運動の潰し方教えます(4)」
「運動の潰し方教えます(5)」
はじめのエントリは、例によってはてなブックマークが
たくさんついていて、賛同するコメントが多くなっています。
歴史認識のスタンスを絶対視するというか、思想や心のよりどころに
なっているかたが多いということなのでしょうか?
批判的なコメントもありますが、ほかのかたから「シニシズム」と批判されています。
わたしのこのエントリも「シニシズム」と言われるのでしょうか?