「女が改姓するべき」という社会的圧力があるからなのは、
言うまでもないことだと思います。
ところが、そうした圧力の存在がわからなくて
(あるいは認めたくなくて)「女がみずから改姓を選択しただけだ、
不満ならもっと話し合えばいい」と考える人が、ときどきいたりします。
つぎのツイートは、「夫の姓を名乗るように強要されていない」
とまで言っていて、まさにそうした人の典型です。
https://twitter.com/mamimumemonkey/status/314571434347356161
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もっと妻の姓を名乗る結婚が一般的になっても良いと思うんだよね。
自分で夫の姓を選んでおきながら旧姓使いたい!って言う女性が多いけど、
届け出す時にどちらの姓を名乗るかもっと話し合いすればいいだけ!
夫の姓を名乗るように強要されたんじゃないでしょ?
自分で決めたんでしょ?
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すこし前に、結婚して妻の苗字を名乗る
「女姓婚」というものが、話題になったことがありました。
ところがやはりというか、夫婦同姓であるにもかかわらず、
この「女姓婚」が許せなくて、反対する人も結構たくさんいるのでした。
夫の苗字を名乗れば、このようは反対はないですから、
「女が改姓するべき」という社会的圧力があるのはあきらかです。
多くの女性が「夫の姓を名乗るよう強要される」ことは、
これだけでもじゅうぶんわかることだと言えます。
「女が改姓するべき」という圧力は、社会構造によるものですから、
個人の努力では解決がはかれないことです。
それを「話し合えばよい」のように、女性の個人の責任に
着せようとするのは責任転嫁であり、問題の矮小化と言えます。
改姓を強要される女性は、かかる社会構造の被害者ですから、
女性の「責任」を問うのは、「被害者非難」とも言えます。
本当に非難されるべきは加害者であり、かかる社会的圧力を
維持している側であることは、言うまでもないでしょう。
そして、個人の努力でどうにもならないのですから、
こんな責任転嫁をしても、なにも解決しないことになります。
女性の個人の問題に矮小化するのは、「女が改姓するべき」という
社会構造を温存したい人には、好都合なことでしょう。
付記:
前にもこんな人がいた。
「反発しない人を選べばいい?」
気づいていないと、わたしも思います。
彼ら選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
鈍感で傲慢だと思います。