という「期待感」だけで、どんな政策を行なうかは関係なく、
政治家や政党を選ぶ人たちが、日本は一定の数います。
きょうびでしたら、橋下・維新の会に期待するような人たちです。
こうした人たちは、政策をろくに見ないで判断するので、
国民生活を破壊するような政策を掲げていても、
極端で問題のある思想を標榜していても、
そんなことにおかまいなく、ただ「期待感」があれば、
それだけで支持をするという危険をはらんでいます。
こうした人たちの存在には、へきえきしているかたも多いでしょう。
彼らもなんとか政策で判断してくれないものかと、
むなしい努力をしたかたも、いらっしゃることと思います。
わたしもはっきりわからないですが、こうした人たちは、
生活にはたいして困っていないのかもしれないです。
自分の生活向上のために、政治に期待しているのではなく、
政治とは自分の生活からかけ離れたところで行なわれている
壮大な見せ物くらいに思っているのかもしれないです。
さて、あなたがリベラルな思想をお持ちで、国民生活の向上のための
政策を推進したいと、考えているとしましょう。
そして、上述の「期待感」だけで判断する人たちからも、
あなたは支持を得る必要があるとします。
ところがここで、自分の政策が優れていることや必要なことを
いくら説いても、彼らに対しては無駄だと思います。
それより効果的なのは、あなたの政策が実行されれば、
「なにかが変わる」という期待感を演出することだと思います。
どうせ彼らは、政策の中身なんて興味がないのです。
となれば、目立つ看板政策をひとつ作るなどして、
「なにかが変わる」と彼らに思わせたほうが、ずっと得策です。
それからあなたは、自分の政策をかならず実行できるという
指導力があるように、演出する必要もあるでしょう。
彼ら「期待感」だけで判断する人たちは、
「強い指導力」に対しても、多くの期待感を持つからです。
こういうやりかたは、愚民思想だとか、相手を利用している
というふうに感じて、不誠実だと思うかたもいるかもしれないです。
ところが、「期待感」だけで判断する人たちに対して、
地道に政策の優位性や必要性を説くことは、
これまでにもさんざんやって失敗をしています。
いままで失敗を繰り返してきたことを、
しつこく続けるのは、とても得策とは言えないです。
いい加減相手に応じて戦略を変えるべきだと思います。
これは「変えられるのは他人ではなく自分」という
一般則にものっとった考えかたでもあります。
つまり彼らがどうしても変わらないなら、
あなたのほうから変わりましょう、ということです。
それで彼らを「利用している」ということになるなら、
それは「期待感」だけで政治家や政党を選ぶ
彼らの民度が「その程度」ということだと思います。
つまり「利用される」のは、彼ら自身の責任であり、
あなたが責任を取ってやることではないということです。